(財)日本少年野球連盟(ボーイズリーグ)とは

  日本少年野球連盟(愛称:ボーイズリーグ)は2005年5月、文部科学省より財団法人の
 資格を授与され、正式名称が財団法人日本少年野球連盟に変わりました。これは永年の頑
 張りが評価されたもので、当連盟では2005年を再出発の年と位置付け、さらなる飛躍を目
 指しています。
  財団法人日本少年野球連盟のスタートは1970年。最初はわずか28チームという一握りの
 小さな集団でしたが、いまでは北から南まで全国40支部、小・中学生の部併せて約600チ
 ームの大きな組織に発展しました。
  ボーイズリーグは創立以来」野球を愛好する少年たちに正しい野球のあり方を指導し、
 野球を通じて次代を担う少年の健全育成を図る」ことを目的に掲げ、活発な活動を展開し
 ています。そしてその活動内容は毎年、春と夏に全国大会を開催する他、世界少年野球大
 会、日中、日韓親善試合などの海外交流にも力を入れており、各ブロックでの地区大会は
 年間100大会にも及んでいます。

日本少年野球連盟の目的及び事業

   硬式野球を愛好する少年に正しい野球のあり方を指導し、野球を通じて心身の錬磨
  とスポーツマンシップを理解させることに努め、規律を重んじる明朗な社会人として
  の基礎を養成し、次代を担う少年の健全育成を図ることを目的としています。
  
  この目的にそって、次のような事業を行っています。
     1.少年野球の振興、指導、加盟団体に対する監督
     2.少年に適した野球の調査、研究、普及
     3.少年野球に関する全国規模及び地区別の各種国内大会の開催及び後援
     4.少年野球に関する各種国際大会、国際親善試合及び国際会議の開催
       ならびにこれらに対する代表等の選考及び派遣
     5.少年野球の指導者、審判員の養成及び講習会の開催
     6.その他この連盟の目的達成に必要な事業
日本少年野球連盟の歩み
  1970年  日本少年野球連盟結成。第1回選手権大会
       (小学生の部、中学生の部)開催。
     
  1971年  大阪府下、大阪北、大阪南、兵庫県、九州北
       九州南の6支部誕生。
     
  1972年  第1回審判講習会を開く。
     
  1973年  第1次アメリカ遠征団を派遣。
     
  1975年  金属バット公認。
     
  1976年  金具スパイクの禁止。
     
  1977年  ボーイズリーグニュース
       (日本少年野球連盟機関紙)を創刊。
     
  1978年  アメリカからカーディナとヘイワードの2チ
       ームが来日。
     
  1979年  中学3年生の公式試合出場は11月末までと
       する。
     
  1980年  第1次中国遠征団を派遣、歴史的交流が始ま
       る。選手手帳の携行を義務付ける。
     
  1981年  鶴岡理事長が早朝と日没後の練習厳禁を通達。
       「連盟の手引」を初刊。
     
  1982年  連盟の愛称を「ボーイズリーグ」と決定。
       82年世界少年野球選手権大会を大阪球場で
       開催。4か国8チームが参加、大阪が優勝。
       第1回マイアミ市少年野球大会に、少6、中
       1選抜チームが参加。5か国代表と リーグ
       戦を行い全勝で優勝を飾る。
     
  1984年  審判員の左袖に本部登録ナンバーをつける。
       福岡市で世界選手権を開催。大阪が優勝。
     
  1985年  第1回中・四国大会、第1回九州大会を開催。
     
  1986年  第1回中日本大会を開催。連盟のテレフォン
       サービスを始める。
     
  1987年  中学生投手の連投を禁止する。
     
  1988年  小学生チームが北京国際学童野球大会へ初参
       加。9チーム中3位。ブラジルチーム来日。
     
  1989年  (平成元年)新定款による理事、評議員を選出。
       第1回理事会を開催。会長に鶴岡一人氏。
     
  1990年  春季大会より、捕手のヘルメット着用を義務
       付ける。
     
  1991年  鶴岡会長が勲四等旭日小綬章を受章。
     
  1992年  中学3年生の公式試合出場は、8月31日ま
       でに変更。
     
  1994年  ジヤイアンツカツプ全国少年野球大会で、日
       本リトルシニア野球協会と初の交流。
     
  1995年  女子選手(小学生の部)の登録を認める。
     
  1996年  小学3年生以下の「軟式の部」を設置。
     
  1997年  ボーイズリーグニュースを刷新。きめ細かい
       カラフルな紙面に。
     
  1998年  投手の投球回数の制限。
     
  1999年  大阪ドームでの世界選手権大会(7か国、1
       4チーム)でジャパン大阪が優勝。日本の6 
       連覇10度目の偉業を達成。連盟創立30周
       年式典で永年功労者を表彰。
     
  2000年  鶴岡一人名誉会長が逝去。新会長に最高顧間
       だった渡辺滉氏(三和銀行・相談役)が就任。
       8月に6ブロツク8チームによる対抗の「第
       1回ボーイズリーグ鶴岡一人記念大会」開催。
       次年度から各ブロック持ち回りで開催される。
   
  2001年  東四国支部、沖縄県支部を復活。
       プロ野球ドラフトで史上最多の20人のボーイズ
       OB指名(1巡目4人)。

  2002年  レッグガード並びにエルボーガードの使用を
       全面的に認める。
       謝国城カップ国際少年野球大会(台北)代表
       (小学生の部)として選手権大会優勝の全泉州
       (大阪南支部)を派遣。
 
  2003年  組織の拡大に伴い、中部支部を愛知県東支部、
       東海支部を愛知県西支部に名称変更、静岡県が
       支部として独立、全国で37支部に。
       呉市のスポーツ会館内の「鶴岡一人記念展示室」に
       トロフィー、パネルなど8点を寄贈。
       野球体育博物館(東京ドーム内)にボーイズリーグ
       コーナー新設。

  2004年  第7回関東ボーイズリーグ大会に98チーム1800人が参加。
       8月1日の連盟創立35周年式典に各界から1300人がお祝いに。
       テーマソング「白球にかける」を初披露。
       夏の甲子園にボーイズ出身選手が史上最多の190人。

  2005年  5月 文部科学省から財団法人許可を受ける。全国39支部
       チーム数は約600に。
       8月 世界大会(アメリカフレズノ)で日本チームが優勝。
       12月 オーストラリアで初の日・豪親善試合、選手権大会
         優勝の全泉州ボーイズ(大阪南支部)を派遣。

  2006年  8月 世界少年野球大会を大阪で開催。(9カ国、16チーム)
         ジャパンチーム 2年連続13度目の優勝。
         訪中団(中学生の部)を中日本ブロックで選抜編成(北京、
         上海、天津)。
         訪韓団(小学生の部)九州ブロックで選抜編成(浦項、大邱)
       12月 日豪親善試合(小学生の部)に選手権大会優勝の
         ジュニアホークス(大阪阪南支部)を派遣。
    2007年  3月 第2回理事会でチームの境界線(バンダリー)廃止決定
          中学生の部女子選手の登録承認。
       8月 第3回理事会で次の2点が決定。@他リーグとの交流試合の許可を決定
          A入団6ケ月以内であれば移籍可能。その後は支部長、担当役員、
          ブロック長の順で調整。
         ・世界少年野球大会 メキシコ・シロアナ州で開催 ジャパンチーム
          3年連続14度目の優勝。
         ・リプケン12歳以下世界少年野球大会 アメリカメリーランド州で
          開催 小学生選抜チームが参加。
         ・日中友好親善選抜少年野球試合(中学生の部)関西ブロックで
          チーム編成
                  ・日韓友好親善少年野球試合(小学生の部)韓国・浦項、ソウルで開催
          中日本ブロックでチーム編成
       12月 第4回理事会で次の4点を決定。@コールドの点差を改正(中学生の部は
          4回終了10点差、5回以降7点差。小学生の部は4回以降7点差。)
          Aタイブレーク方式の導入。Bボーイズリーグニュースのチーム直送。
          C小学生の部3年生以下軟式の部を廃止。